詩「ステキな朝」(作・くぽたみき)の感想文

「ステキな朝」
作・くぽたみき

ある朝のこと
ぼくは能天気だった

まるでふわりと
軽やかに踊り出しそうな
そんな気分だった

もしも剣を持てば
敵うものは誰もいない

シュッシュッ!
くるりと舞っては
剣さばきに胸を躍らせる

空を見上げては
飛ぶ小鳥に投げキスをし、
朝の日差しに
おはようと言うのだった


 くぽたみきの詩には朝の話がよく出てきます。それは心の中の朝の話です。詩集「さらさら」(2024年)には「ステキな朝」という詩があります。とても清々しい朝の詩です。ところがぼくには引っかかる点がひとつあります。それは

ぼくは能天気だった

 というところです。人によっては違和感はないところかもしれません。しかしぼくは少し引っかかってしまいました。「能天気」まずこの意味を調べてみましょう。

・あまり深く考えない様子
・悩みが少なく明るいさま

 そして皮肉を込めた意味合いで使われることが多いです。詩の内容を見てみると「能天気」を度外視すると、本当に朝を楽しんでいるような様子が目に浮かぶようです。軽やかに踊り出し、もし剣を持っていたら無敵だし、飛ぶ小鳥に投げキスをし、朝の日差しにおはようと言う。こんな朝を送る「ぼく」はぼくからすると本当に生き生きとした朝を送っています。
 けれども、「ぼく」は「能天気」なわけです。ぼくはこの「能天気」があることでこの詩は一気に深みを増している気がしました。なぜならこの「能天気」はいろんなことを想像する材料になっているからです。
 例えば「ぼく」はじつは元気がないのに明るく振る舞っているのかなあと思えたり、誰かがちょっと冗談で「能天気」だなと思ったり言ったりしたのを「ぼく」はまるで「そうだよ、ぼくは能天気さ!」と応えているのかもしれません。そんなことを考えてみると、この「ステキな朝」は捉え方次第でいろいろな表情があるわけです。それはぼくはネガティブでもポジティブでもありえる可能性があるように思えました。ぼくだったらポジティブに捉えたいと思います。「能天気」をスーッと垢抜けていると捉え、それだけ「ぼく」は純粋に朝を楽しんでいるんだなと思うことでしょう。


 少し強引だったかもしれませんが、「能天気」があなたを傷つけないことを望みます。ぼくはこの詩を悪気があって書いたわけではないと信じてもらいたいです。

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